2017年6月13日 (火)

コラム『INSIDE/OUTSIDE 音の記憶』更新中

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毎月11日更新中。

コラム『INSIDE/OUTSIDE 音の記憶

第3回『ポリリズム』更新しました。

2017.6.11 ササマユウコ

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2017年5月11日 (木)

「耳をすます・耳をひらく」ワークショップ@神楽坂セッションハウス

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ダンサーの方はもちろん、「サウンドスケープ」の考え方、即興に関心のある方もお気軽にご参加ください。

特別な技術を必要としない「サウンド・エデュケーション(音のワークショップ)」を中心に、世界を広げる柔らかな耳を手に入れましょう。

講師:ササマユウコ
◎お申込み・詳細 神楽坂・セッションハウス

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毎月11日にコラム「INSIDE/OUTSIDE」にて「音の記憶」を掲載しています。
   ●5月11日号「オルゴール」

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2017年4月18日 (火)

ササマユウコのホームページ

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森の中の鹿を相手に説法の練習をしていたわけではありませんが、2011年3月から「音のない音楽」の世界を旅していました。

音楽とは何か、何が音楽か。正解がないことはわかっていましたが、とにかく自分なりの考え方=言葉を手に入れたいと、日々思考を続けていました(それは今も続いています)。そして最近は「音」に立ち返る場面も巡ってきて、言葉にはない音の力を再確認しています。密かにピアノも弾いています。

50代に入った「今」だからお伝えしたいことを。音楽と言葉の両面から、これからも丁寧に積み重ねていきたいと思っています。サウンドスケープとは何かを知るための「耳の哲学」に関心をお持ちの皆さまには、どうぞワークショップも体験して頂きたいと思っています(お気軽にご相談ください)。

まずはお時間のある時に、ぜひサイト をご覧頂けましたら幸いです。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。 

http://yukosasama.jimdo.com/  音のない音楽/CONNECT主宰 ササマユウコ

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2017年3月27日 (月)

『故郷』に想う

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先週、近くの小学校で卒業式がありました。最近はポップスから合唱曲まで様々な歌がうたわれているようですが、この小学校では体育館で『故郷』(高野辰之作詞、岡野貞一作曲)を歌う子どもたちの歌声が、校庭のスピーカーから流れてきたのです。
 その「歌」をたまたま耳にした途端、涙があふれました。
 『故郷』は2011年3月の福島原発事故以来、自分の中で特に演奏することを躊躇する曲でした。というか、音を出すことそのものから距離を置く生活をしていました。そうした中で、偶然こちらに避難する福島の方から『故郷』は「聴きたくない曲」だとお話を伺ったことがありました。辰野氏は自身の故郷である長野県の風景を描いたと言われていますが、普遍的な里山のイメージには、私たちが原発事故で失ってしまったもののすべてが詰まっている。音楽の力には人を勇気づけるものと、無意識に傷つけてしまうものがあることを、音を出す側は常に意識していないといけないと思ったエピソードです。
 一方でつながりもありました。ベルギーからメールが届いたのです。ドイツで開催された復興支援コンサートでたまたま『故郷』を知り、いろいろ探した中で私の編曲したピアノ・バージョンを弾いてみたい、楽譜を送ってほしいという内容でした(楽曲はすべて現在もN.YのTheOrchard社から世界各国に配信されています)。

 作曲家の岡野貞一氏はクリスチャンとして教会でオルガンを演奏していたこともあり、この楽曲にはやはり讃美歌に通じる響きを感じます。西洋音楽を学ぶための国策としてつくられた「文部省唱歌」ではありましたが、100年間歌い継がれた今は、この国を代表するスタンダードのひとつと言って良いのだと思います。
 実は演奏活動を休止した311後も、年に一度ホスピスでピアノを弾かせて頂いているのですが、車いすやベッドのまま楽器の周囲に集まった方たちから自然と歌の輪が生まれるのもこの『故郷』です。それまでは無反応だった方も何かに導かれるように歌を口ずさむ。その瞬間には間違いなく歌や音楽の力を感じずにはいられません。
 『故郷』にまつわる記憶にはダンサー・野和田恵理花さんのことも思い出します。この曲を収録した私のCDをきいてくれて、自身のプロジェクトでも「故郷」で踊ったことがあり「この曲が大好きだし、80歳まで踊りたい」と話してくれました。その二年後、彼女は突然の病で旅だってしまいましたが、今でもそのスピリットは次世代に受け継がれています。
 この5月には、またホスピスでピアノを弾かせて頂く予定です。早いもので9年目となりますが、実は『故郷』を弾くべきかまだ迷っています。文部省唱歌には忘れがたい美しい曲も多い。一方で歌詞が古く歌われなくなってしまった作品も多い。ピアノで旋律だけでも残していく、小さな音楽の100年のいのちを絶やさないことも大事な仕事であるとも思います。特に世代が変わっていく中で、音楽の成り立ちや歴史的な文脈、上から与えられた「文部省唱歌」を否定する流れも当然ある。それは自分の中にも全くないとは言えない。ホスピスの演奏曲を集めた『Mother Songs』を録音したのは311前でしたので、今あのCDを作ろうと思うかはわからない。国と音楽の関係性の歴史を考えたら複雑な心境ですが、しかし美しいと感じる旋律はやはり美しいのも事実です。
 それ以上に、小さな音楽の100年続いたいのちさえ奪ってしまう原発事故の深刻さを考えずにはいられません。もう6年、まだ6年。故郷を奪われた人たちにとって、まだ何ひとつ解決していないという現実からも目を逸らすわけにはいかないのです。

◎YoutubeにUPしているササマユウコの「故郷」です(CD『Mother Songs』収録)

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2017年3月26日 (日)

空耳図書館のはるやすみⅢ うららかに終了しました。

♪3月20日の春分の日。「空耳図書館のはるやすみⅢ」を開催しました。
ご参加頂いた皆様、ありがとうございました。活動の記録はこちらから ご覧いただけます。

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あそぶ人aotenjo (外山晴菜/ダンサー、振付家 橋本知久/音楽家)  
+空耳図書館ディレクター:ササマユウコ       イラスト:Koki Oguma

◎「空耳図書館」に関するお問合せは
芸術教育デザイン室CONNECT/コネクトまでお願いいたします。

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2017年2月20日 (月)

【おやこのじかん】 空耳図書館のはるやすみ③「はるのはじまり、いのちのたまご」

【定員に達しました。ご応募ありがとうございました♪】

早いもので、ササマユウコがディレクターを務める「空耳図書館のはるやすみ~おやこのじかん」も今年で3回目となりました。今年も3月20日(月・春分の日)に、この空耳図書館から生まれたクリエイティブ・ユニットaotenjo(外山晴菜・橋本知久)のおふたりとともに、絵本の世界を自由に旅します。

Photo 今年の参考図書は、インドの工房で一冊づつ手作りされている『世界のはじまり』です。豊かな想像力で語られるインドの神話を題材に、いのちのふしぎ、つながりをいっしょに感じてみませんか?とっても小さな集まりです。赤ちゃんパパママ大歓迎!

※詳細は下記の専用サイトをご参照ください。専用メールにてお申込み頂けます(無料・先着順)。

♪空耳図書館サイトhttp://soramimiwork.jimdo.com/

主催:お問合せ 芸術教育デザイン室CONNCT/コネクト  

 ※平成28年度子どもゆめ基金助成事業・読書活動

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2017年1月19日 (木)

暮らしの音風景―①

 受験生がいるので気忙しい1月を送っている中、数日前にご近所のおじいさんが93歳で亡くなったのでお線香をあげてきた。本当に木が枯れるように静かで自然な最期だった。
 新興住宅地(といってもすでに半世紀が過ぎている)のつながりは「干渉しすぎない」が暗黙の了解のようなところがあって、それぞれの家庭でそれぞれの暮らしが粛々と営まれている。今回亡くなったおじいさんのお宅に上がったのも息子さんと口をきいたのも初めてだった。玄関先に飾られた洒脱な植木の手入れに「江戸っ子」の文化的背景が感じられ、鉢植えの四季折々の小さな花たちは通りがかりの楽しみでもあった。
 住宅地を俯瞰してそれぞれの家の屋根を外したら、半径数百メートル内で何と様々な人生模様が繰り広げられていることか。それらが今にも切れそうな細い線でつながりながら何とか共同体を保っている。2011年の春に越して以来、明らかにここは「限界集落」だと思うのだけど、例えばこの穏やかな場にあえて「波」を起こす必要はあるだろうかと考える。
この5年で静かに消えていった人たちを思い出す。気づけば在宅ケア医院やホスピスまで、町内をあげて「死に支度」が整っていくようだ。孤独死の話もきく。しかしそれは独り暮らしだったからで、その人が孤独だった訳ではないのだと気づく。
 時おり、新興住宅地に漂う死の気配に絡めとられそうになるが、そこに小さな子ども世帯が越してくると町内にぱっと明るい光が灯る。子どもたちが外で元気に遊ぶ声は「希望」だと思う。各地で「子どもの声がうるさい」と声をあげる大人たちが話題になっているが、実は彼らの寂しさ、心の闇の方こそ深刻だと感じている。死にゆくもの、それを養分に育っていくもの。森の中の木々のように、人も自然に共生できればいいのにと思う。(1月19日Facebookから転載)

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2017年1月 1日 (日)

2017 謹賀新年

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音を見失っていた2011年の秋に、
弘前で見つけた鳥笛。
あれからの日々を忘れない。
「希望」のサウンドスケープを奏でよう。
ちいさな音楽、耳の哲学。
2017年1月1日 ササマユウコ

 

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2016年12月31日 (土)

ピアノのこと

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①今年いちばん印象に残ったピアノ。様々な事情から親と離れて暮らす障害のある子供たちの施設、その食堂の片隅にあった。今では珍しい象牙の鍵盤で、丁寧に時間を重ねた丸くて優しい音がした。ピアノの前にいくと高校生の男の子がやってきて、ベートーベン「悲愴」第2楽章の頭を弾いてくれた。「好きな曲?」ときくと、はにかみながら「うん」と頷いた。彼はとても耳がよく、記憶から旋律を紡いでいた。おそらく緊張で室内を走り回っていた背の高い男の子がいた。その子がある瞬間、ピアノの傍に静かに腰を降ろした。彼は床に体育座りをして空(くう)を見つめたまま、静かな横顔でこちらの音に耳を傾けていた。彼は「何を」きいていたのだろう?言語のやりとりは困難だったので、今も謎のままだ。もしかしたら魔法のピアノだったのかもしれない。子どもたちはみんな、このピアノが大好きだった。

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②12月のミロコマチコ展で弾いたJIKE STUDIOのピアノ。アメリカ製(ワシントン)で100歳だった。響板にひびが入っているらしく、弾く場所によっては何とも面白いダミ声のような倍音が鳴った。低音は心地よい抜け感。会場中央に太陽のようなミロコさんとカプカプのトミさん、彼らの間を惑星のように自由に動く新井英夫さんと板さん、その周囲にはカプカプーズや会場のお客様たち。60名近いエネルギーが歌や踊りとなって渦巻く「宇宙の音楽」が内側から立ち現れた。時おり、誰かが飛び入りでやってきては即興の連弾になる。自分もそれを当たり前に受け入れていた。若い頃の自分ならどうしただろう?ひらかれたのは楽器か、音楽か、それとも心か。一期一会のサウンドスケープに、自分がいま求めているのは「関係性の音楽」だとあらためて実感した。(結局役に立たなかったけど、バックミラーを付けたのも初めてだった)。

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2016年12月15日 (木)

「こまば哲学」にて

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11月には東京大学駒場祭で開催された「こまば哲学」に、コネクトの方で協力させて頂きました。プログラムは「対話は言葉だけのもの?~音楽療法やサウンドスケープの視点から」です。
ファシリテーターとして音楽療法士・三宅博子さんを中心に、即興演奏や音のワークショップ、主催のP4E/山村洋さんの言葉での対話を重ねながら、参加された皆さんと一緒に「音」や「きく」からさまざまな気づきを得る時間となりました。

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この中で、弘前今田匡彦研究室でもおなじみのサウンド・エデュケーション「紙のワーク」を皆さんに体験して頂きました。そして今年、いくつかの場所でこのワークを実施してみて気づいたことがあります。紙のワークの「ルール」は「音を出さないで紙を回す」だけなのですが、そのルールをどう受け止めるかによって身体性が、もっと言えばその場の「音楽」が大きく変わってくるということです。

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この「紙のワーク」の本来の目的は、紙と身体(指先、膝や腕の関節)の関係性から楽器を演奏する身体を学ぶ音楽教育にあります。自分の出す音/出さない音に耳をすまし、身体・指先の延長線上として紙をとらえ「一体化」させていくプロセスに、よい演奏=音楽の本質があるという気づきを得る。その気づきから、身体の動きそのものが音楽になっていくのです。つまり「音を出さない」というルールを守るという意識で身体を拘束するのではなく、「無音をきく」こと、紙とひとつとなって柔らかく身体を動かすという発想の転換が必要になります。
興味深いことに、音楽教育が目的ではない場で同じワークをすると(’オンガク’という概念を共有しないでワークを実施すると)、「音を出さない」という「ルールを守る」ことのみに意識が向かい「ただ効率的に紙を回すだけの場」が成立します。写真の私のように身体の動きからも紙の動きからも音楽が消え、目的を達成するだけの何とも味気ない場になっていくのです。

Blog_4しかしそこにほんの少しだけ「関係性」や「柔らかく」というキーワードを与えるだけで、場が劇的に変化する。直線的に紙が回されていくだけだった場が、明らかに音楽的な波を描き始めるのです。皆さんの身体も膝や手首が上手に使われて、柔らかくなっていく。何より紙が美しく波を打ち、音楽を奏で始める。もしルールが破られたとしても、視覚的な「美」、また「全体の流れ」が包み込む。何より緊張感が消えて「楽しく」なるのです。
生活の中で「なぜ音楽が必要か」という問いの、ひとつの答えを見つける瞬間です。しかもこの場合は「沈黙をきく」というサウンドスケープ論の根幹にも迫ることができます。
さらに紙のワークには、コミュニティや紙の質を変えることからも気づきがあります。最後に「音を出さない」というルールを外したときに生まれる「自由な音楽」にも、また違う音楽の発見や喜びを感じることができる。実に単純にして奥深いサウンド・エデュケーションなのです。

参考文献:
『音さがしの本~リトル・サウンド・エデュケーション』M.シェーファー、今田匡彦(春秋社 2008)
『哲学音楽論~音楽教育とサウンドスケープ』今田匡彦著 恒星社厚生閣(2015)

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