2016年8月28日 (日)

【終了しました】キクミミ研究会夏の特別企画 『生きることは即興である~それはまるで‘へたくそな音楽’のように』

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【終了しました】

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 当日の詳細はこちら→

キクミミ研究会~夏の特別企画
生きることは即興である

 ~それはまるで‘へたくそな音楽’のように」

特別ゲスト:若尾裕(臨床音楽学)
きき手:キクミミ研究会
       新井英夫(体奏家)
       ササマユウコ(音楽家)

日時: 8月26日(金)20時~22時
場所:下北沢本屋B&B www.bookandbeer.com
□主催:B&B

サウンドスケープ、音楽教育、音楽療法、そして即興演奏。常に柔らかな姿勢で「音楽」と向き合い、その内側から芸術と人生の真理に迫る若尾裕氏。その仕事をキクミミ的に紐解きながら、「生きる」とは、「即興とは」を語り合う、非アカデミックで愉快な真夏の一夜です。ビールを片手にお気軽にご参加ください!

●この企画はB&Bの主催で第6回「キクミミ研究会~身体と音の即興的対話を考える」を公開にしたコネクト企画です。
キクミミ研究会:新井英夫、ササマユウコ、板坂紀代子

このイベントの内容に関するお問合せは、
相模原市立市民・大学交流センター内シェアード1 芸術教育デザイン室CONNECT/コネクトまで
http://coconnect.jimdo.com/


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2016年7月18日 (月)

「World Listening Day2016」に寄せて

 7月18日はカナダの作曲家マリー・シェーファの誕生日にちなんで、「World Listening Day」が設立されています(シェーファーは今年83歳)。今でこそ学際的に、様々な領域で使われる「サウンドスケープ」という考え方(コトバ)ですが、そもそもはシェーファーを中心に、世界の音環境を調査する「World Soundscape Project」という環境学的なアプローチからスタートしています。しかしこれにも経緯があって、大学の教員となったシェーファー自身が伝統的なクラシック音楽教育に馴染まず、「自分の存在を正当化するため」(本人弁 『モア・ザン・ミュージック』若尾裕著より)にコミュニケーション学科に移り、その流れでこのプロジェクトが必然的に生まれたのでした。まさに瓢箪から駒、というか、「音楽教育は全的教育だ」と考えるシェーファーの「柔らかに生きる力」をあらためて感じるエピソードです。しかもそれが40年近く前だったことを考えると、当時は今以上にヴィルトーゾ教育が主流だったはずの音楽教育を飛び出し、「音響コミュニケーション」を掲げ、サウンドスケープから音響生態学(Sound Ecology)を学際的に提唱したシェーファーは、当時最先端の考えを持つ音楽教育者だったとも言えます。このサウンドスケープ論は「社会福祉」にもつながると予見されていて、音楽家シェーファーの社会とつながる感覚は、今の時代の音楽家にこそ学ぶものが多いと感じています。ちなみに40年前の(当時の)アカデミズムでは、どこへ行っても氏の考えは‘嘲笑された’と本人が回想しています。

 その後「サウンドスケープ」、あるいはそれを学ぶ「サウンド・エデュケーション」は、音楽教育を始めとする芸術教育、哲学、環境学、コミュニケーション学、福祉学、建築学、都市デザイン・・と、さまざまな領域に広がり、その流れは現在まで続いています。ちなみに私(ササマユウコ)は、コネクトの活動をサウンドスケープ哲学実践の場として、「きく」を共通キーワードに持つ臨床哲学との親和性にも着目して研究しています。内と外をつなぐ柔らかな発想です。
まさに耳から捉える世界は多面体なのでした。

■プロジェクトの関連ページはこちらです
●コネクトでの関連記事はこちらです

Wld2016logo3

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2016年6月19日 (日)

映画『FAKE』を観て

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聾者(まったくきこえない耳を持つ人たち)の音楽を描いた『LISTEN』と同時期の公開となった、こちらも話題作『FAKE』を観ました。実は、一連の’事件’については記者会見も含めいちども報道を観たことが無かったので、純粋に「音楽とは」「きくとは」を問う作品として向き合いました。

作品は人間ドキュメンタリーとしても非常に興味深く、被写体であるS氏(夫妻)を通して見えてくる「メディア社会」の歪みを実感する内容だったと思います。さらに、篠原有司男夫妻の『キューティ&ボクサー』やアート収集家夫妻『ハーブ&ドロシー』のような、芸術をめぐる風変りな夫婦のドキュメンタリーとしても楽しめる(そう、意外にも’楽しめる’要素が各所にある)。ただしそこには「FAKE」というキーワードが通奏低音として流れているわけです。

一方で「音楽」や「きく」に焦点を当てて観ると、とても一言ではまとまらないモヤモヤが残ります。なぜならそこには「正解」が無いからです。ゴーストライターN氏の存在も視点を変えれば「スタッフ」と言えなくもない。仲間のアイデアを「編集」して自分の作品として世に出す「作家」は'聴者の世界'には普通に存在しますし、これが彼の「作曲スタイル」だと言えてしまえないこともない。そもそも、そこに「白黒」をつけるスタンスでは撮られていないのですから「答え」は観る側に委ねられているとも言える。

ただひとつだけ「確か」なのは、難聴者であるS氏が「聾者」だと自分や社会を偽ったことです。これは明らかに「罪」である。しかし彼に「聾」という物語を求めたのも、もしかしたら世間なのかもしれないというモヤモヤも相変わらず残る。この映画の後にNHKのドキュメンタリーを観ましたが、そこには明らかに「聾者の絶対音感」という作り手の’期待’があり、それに応えようとしている彼の姿も映しだされている。ただし、ドキュメンタリーに登場した彼を慕う若者たちの存在については映画では一切触れられておらず、実はS氏が誰よりも謝罪しなければならなかった相手はあの彼女たちだったのではと思うのですが、実際の関係性も含めそこは闇の中です。

本来ならば、芸術は障害の前にあっても平等に評価されるものです。なぜなら障害の有無に関わらず、いちど出してしまった「音」はどうにも嘘がつけないからです。そこに付加価値としての「物語」を欲してしまう。これは「受け手側」の問題でもあるのです。そうした「芸術の不平等性、残酷性、そして純粋性」にも触れながら、その魔力に囚われてしまった人間たちの悲喜劇を描いているとも言えます。何より「絶対音感」や「五線譜」という西洋音楽の価値観、音楽的「才能」をどう捉えるかによって「彼らの住む世界」の観え方も大きく変わってくる(これ以上言うとネタバレになるのでやめます)。
結局、森監督がこの作品で提示したのは「環世界」なのだと思います。実際に関連記事を探してみると、監督は「ユクスキュルに影響を受けている」という一節に出会いました。まさに「耳」から捉えた世界は千差万別だということです。他者の耳を共有するには「想像力」が欠かせない。そもそも「きこえる/きこえない」の境界線を乗り越えようとせずに、「きこえる」世界の’常識’だけでこの騒動を判断してよいのかという、受け手側への問いかけでもあると思いました。

一方、この映画を「社会派」として観るならば、受け手の「メディア・リテラシー」に対しても一石を投じたのだと思いました。ある’事件’が起きたときに、主人公を記者会見に引っ張り出し「嘘つき」と糾弾することは簡単です。しかし、S氏が世に出るきっかけとなったドキュメンタリーの作り方には音楽的な「つっこみどころ」も多々ある。そこを検証せずに「鵜呑み」にした受け手には、もちろん作り手には何も問題はなかったかと。音楽家に限らず、科学者、政治家、アイドル、企業人トップ、今や一般人までが、日々テレビの中で「謝罪」を繰り返している社会こそが「FAKE」ではないのか。そんな監督の声がきこえてくる気がしました。

どちらにしても「FAKE」は、本当の聾者(という言い方は失礼ではないか・・)の映画『LISTEN』と併せて、ぜひ観て頂きたい作品だと思いました。何が本物で、何が嘘か。音楽とは何か、何が音楽か。その問いと存分に向き合える、実に対照的な二本の「きく」映画でした。
(ササマユウコ記)

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2016年6月14日 (火)

ササマユウコ/Yuko Sasamaホームページ移転中です。

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□6月いっぱいで旧サイトのサービスが終了するということで、急遽ササマユウコのホームページの移転作業に入っています。ちょうど「ふり返り」の時期なのかなと思っていますが、予定外だったのであたふた・・。

2011年の東日本大震災以降、水面下で「音を出さない音楽」と向き合ってきたササマの「イマココ」がわかるサイトになると思います。
まだ表紙しかできていませんが、2011年以前の活動アーカイブも含め徐々に移行していきますので、時どきのぞいてみてくださいね。

□新サイトhttp://yukosasama.jimdo.com/ 

 

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2016年5月23日 (月)

聾者の音楽映画『LISTEN』 アフタートークに出演しました。

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□連日満席が続いている映画『LISTEN』。出演させて頂いた21日(土)夜のアフター・トーク「ウチとソトから’きく’音楽」の様子を、一部抜粋ですがこちら丁寧にまとめて下さっています。話したことが瞬時に文字化&公開されるのは口述筆記のような独特な緊張感もありましたし、もっと話すべきことがあったはずと後悔も残りますが、この作品を使った「哲学カフェ」やりたいなあ・・と思いながら、「音楽とは何か、何が音楽か」について、さまざまな内側と外側から牧原さん&雫境さん両監督とともに考えてみました。たぶんあと3時間くらいは話せたと思います(笑)。先週末は夕方の回に急遽追加上映をしていましたが、それでも夜の回もあと2、3席・・。お立ち見もいらしたので、予告を未見の方も含め今後の詳細はアップリンクのHP でご確認ください。

□この日は、久しぶりに脚本家の米内山陽子さんや、演劇家の柏木陽さんともお会いして、イベント後も米内山さんの通訳を介して監督お二人と共に映画&演劇&音楽談義に花が咲きました。基本的には「きこえる/きこえない」を越えての表現者同志の対話でしたが、同時に「手話」という身体的なコミュニケーションがやはり興味深かった。'楽器演奏時’の身体の使い方、特に指先の動きを含めた「手の仕事」に非常に近いと感じました。実際に手話にも「手質」や得手・不得手があると言います。そして、今回この映画の中で私が「何に」もっとも’音楽’を感じたかと考えた時、(私は手話がわからないので)純粋に彼らの指先や身体が醸し出す雰囲気であったり、動きの「間」であったり、「音のある/なし」を越えたセンス(感覚)や、そこに’きこえる’サウンドスケープ(音風景)だったと思います。反対に手話のわかる人や聾者は、動きに「意味」を見出そうと観てしまうと話していたので、この映画はやはり「きこえない世界」の内側から、「きこえる世界」につながろうと試みた作品なのだと思いました。

□『LISTEN』の面白いところは、被写体ひとりひとりが’奏でる音’を、「無音の58分間」という音楽的な「時間の流れ」として、おそらく’作曲’のような思考と直感で編集して、ひとつのサウンドスケープ(音風景)としてデザインしている点にもあります。人の数だけ音楽があり、各被写体の音楽もいわゆる三要素(旋律、リズム、ハーモニー)で語られるものだったり、内と外の関係性そのものを表現していたり手法は様々です。それをもう一度、監督が音風景として紡ぎ直している。もっと言えば「ムジカ・ムンダーナ(宇宙の音楽)」のハルモニア(調和)の世界を目指した「沈黙をきく」作業です。だから観客にも「きく」ための想像力が求められる。それは先日観た能舞台でも体験した感覚でした。「きく」とは鳴り響く森羅万象(宇宙)に耳をひらき、全身を耳にする行為です。鑑賞者は彼らの音楽を受け入れ、時には自分から求めに行く。受動的聴取と能動的聴取を繰り返しながら映画を「きく」のです。感覚器官に「目」を使っていたとしてもです。

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□余談として舞台裏のお話から、国際映画祭が「聴者による聴者のためのもの」だということも含め、まだまだ聾者がコネクトできない領域があることも見えてきました。実は社会に出て最初に就いた仕事が洋画仕入だったので、もともと映画を観てきた方だとは思いますが、確かにこの『LISTEN』はアート系でもドキュメンタリーでもない。つまりは「聴者の価値観」や「ジャンル」で撮られていない新しい作品だということも非常に注目しています。それは耳栓を渡される鑑賞方法もしかりです。
しかし、この作品が映画界の内側に入るほど「かくあるべき」という壁にぶつかり、評価が厳しくなるという。反対に映画の外の人ほど面白がってくれる、というお話も社会の在り方を象徴しているようで印象に残りました。特にこれは、商業のシステムと結びつき発展した比較的歴史の浅い「映画」というジャンルが、本当の意味で皆にひらかれた「芸術」となるための課題のひとつと言えるだろうと思いました。なぜなら、この作品を「観たい」と連日多くのきこえる/きこえない人たちが映画館に足を運び、満席が続いているという現状があるからです。

□それでも、この映画にどうしても「聴者のジャンル」が必要と言うならば、やはり「音楽」と言いたいと思います。私が「ダンスではない」と感じる理由はまた別の機会に考えてみたいと思いますが、これは音楽家の直感です。映像の’質感’から「アート系」とも違うと思いました。58分間の無音の音楽。即興性や偶然性、荒さときめ細やかさを内包している「現代音楽」ならぬ「未来音楽」と言えるでしょうか。それは身体を動かさずに脳波だけで音楽を奏でる人工知能音楽の映像を観た時の感覚に近いというか(人工的という訳ではなく、’新しさ’という意味において)。とにかく聴者の音楽の「当たり前」が揺さぶられ、観終わった後も「きこえるとは?」「音楽とは?」と考え、他者との対話を生むだろうと思います。何より「きこえる/きこえない」という両者の世界をつなげたくなる。聴者は耳栓で塞いだ自分の身体の内側の音、つまり「生命の音」に気づき、それは聾者にも同様にある音楽だとあらためて知る。彼らの音風景(世界)に気づくこと。まさにそれは「きく」ことから世界との「つながり方」を見直そうとしたM.シェーファーのサウンドスケープ哲学そのものだと思うのでした。

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2016年5月16日 (月)

アーツ千代田3331「音を奏でる身体~動く音響」 記録映像です。

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昨年12月にアーツ千代田3331レジデンスアーティストJan&Angela(スイス)のプロジェクトに参加した際の映像記録が出来上がりました。

音を奏でる身体~動く音響」と題したこのプロジェクトは、彼らが世界各国を旅して出会ったアーティストと身体×音の「即興的対話」から生み出されていく旅の記録でもあります。

ですから映像の中でも、いわゆる「パフォーマンス作品」ではなく完全に即興の非言語コミュニケーション(コトバ以外の音と身体を使った対話)が行われています。出演者5名の間には「10分×3本」と役割(私は音)が与えられているだけです。ステージの内側の世界では、かなりの情報量や「気」が飛び交ているのですが、外側からはこのように見えていたという記録でもあります。定点観測なので、外側からは見えていない部分で起きていたこと、内側には届いていなかった周辺環境音が入り込んでいることなど様々な発見があります。「作品」として受けとめることも可能です。また私とJan(音楽家たち)の身体が、3名のダンサーの身体とは明らかに違うことも興味深い。音楽家とダンサーの音の扱い方も微妙に違うのも興味深いと思います。
何より初対面のメンバーが、出会ってから1週間後に、分野や国境も越えて即興的な非言語コミュニケーションが可能になることも、芸術の力だと思います。私にとっては2011年から久しぶりのステージが「ピアノではない」というレアな状況ですが、その展開も含めて「身体と音の即興的対話」について、もっと自由に内と外をつないでいきたいと思いました。

■詳細はJanのホームページ をご覧ください。

photo(C)Steven Seidenberg and local press photographer

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2016年5月11日 (水)

映画『LISTEN』14日から公開 (アフタートークに出演します)。

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以前こちらのブログでもご紹介した、音のない音楽映画『LISTEN』。いよいよ今週末14日(土)から渋谷UPLINKを皮切りに公開されます。
初日からの2週間は連日、聾者監督ふたりと各分野のゲストによるアフタートークが予定されています。僭越ながら21日(土)夜の回には、私(ササマユウコ)も「ウチとソトから’きく’音楽」をテーマに出演させて頂くことになりました。

先月の哲学カフェ「’きこえない音’は存在するか?」のテーマともつながり、監督おふたり(牧原依里さん、雫境(DAKEI)さん)と対話の機会が持てることはとても楽しみです。
「音楽とは何か」を内側、外側から考えてみたい方、音のない音楽を体験してみたい方、ぜひ足をお運びください! 上映は19時からです。
映画は■詳細はこちらから→

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2016年5月10日 (火)

「Mother songs vol.8」を終えて

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大概的なピアノ演奏を止めた2011年以降も、実はこのホスピスのMother songsコンサートだけは続けている。今日は8年目。自分の演奏が本当に必要とされている気がするのは、コンサートを支えて下さるスタッフ皆さんのお力添えが大きい。本当は「断れずに」続いているというか、結局私も皆さんと同じなのだ。自分の出来ることで、あの場所に参加させて頂いてる。
一期一会であっても「死」も「音楽」もいつもの日常の続きにある。だから特別なことはしない。世間話や作品背景をお伝えしたり、歌ったり、子供たちの未来を願ったり。今思えば第1回目の緊張感は失礼だった。完璧に演奏しなければと力が入っていた。もっと和やかに、普通に語りかければよかった。次回はもっとユーモアを入れたい。
8年目にしてやっと今日、少しわかった気がする。小さな音楽の持つ時代性や力を。過去にここで出会った人は誰一人この世にはいないのだということも。今日出会った人たちもいずれいなくなる。それは何というか誤解を恐れずに言えば清々しいような気持ちがした。笑顔を見せてもらえたからかもしれない。
考えるところあって、今日は10年ぶりにバッハやドビュッシー、クラシックも解禁した。私にしては珍しくクラシックは楽譜通りに演奏した。ふと、10年以上前に亡くなった祖母の顔が浮かんだ。来週命日のママ友のことも思い出した。
明日は母の日だ。

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2016年4月22日 (金)

「ホーム/アンド/アウェイ」に参加しました。

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女子美術大学大学院修了生アートグループ「泥沼コミュニティ」が1年半にわたって「アートラボはしもと」を拠点にリサーチ活動を展開。この4月に活動報告会が開催されました
(会場:アートラボはしもと、Solid&Liquid MACHIDA  開催期間:4月1日~17日)。

路上観察学会分科会有志メンバーとして、橋本の街歩きで採録したオトを「空耳サウンドスケープ」として再構築し、「はしもとの空耳~この音風景は内であり、外である」(ササマユウコ×西郷タケル)としてシアターで展示しました。
またZINE『路上観察学会分科会通信 0号 橋本篇』(編集・デザイン:鈴木健介、執筆:鈴木、山内健司、ササマユウコ)を配布しました。

〇当日の様子など詳細はこちらをご覧ください

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2016年4月13日 (水)

第2回 音楽×弘前の哲学カフェ『’きこえない音’は存在するか?~花のひらく音をきく』開催しました。

4月9日に第2回音楽×弘前の哲学カフェを開催しました。(@ストリングラフィStudioEVE)
ご参加頂いた皆様、ありがとうございました。

当日の雑感はこちらをご覧ください⇒


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