2012年5月 3日 (木)

音のたから探し

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それにしても、今年の春は雨が多いですね。
しかし、メディア4youthでのワークショップ
「音のたから探し」が予定されていた先週の日曜日は、まるで初夏のように晴れて、暑いくらいでした。


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広大な農園の中で、自然音、人工音、環境音。。。
さまざまなサウンドスケープに包まれながら、
午前中はひたすら畑作業(汗)、
みんなと一緒に手作りのお昼を食べて、
午後は参加者30名でサウンドウォークとサウンド・エデュケーションを体験してもらいました。
子供、学生、大人、もっと大人。。
いろんな人たちが、「耳の発見」から各々の気づきを得られたようでした。Soundwalk4

自然のミメーシスで始まった「音楽」が、
「祈り」から「表現」へと向かった要因は何でしょう。
それは自身の感動を、誰かと「共有したい」という衝動だったかもしれません。
自分だけの感動や発見を「伝え」、受け止められ、その人とつながったとき、
あらたな感動が生まれる。
今回のワークショップの発表時間にも、同じような体験が得られました。

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人の命は、「感動の共有」の繰り返しがあったからこそ、何百万年も続いてこれたんだと思うのです。

いま自分の出した音(声)は、誰かとつながっているでしょうか。
こんなにも世界を取り囲んでいる音の、その出処を、
無感動に聞き流して暮らしていないでしょうか。
その音は、自然音と調和しているでしょうか。

心が揺さぶられたとき、
「伝えたい人」は誰でしょうか。
音から世界を見つめたとき、
いつもの目に映る風景との違いにはっとするのです。
そして人の数だけ音の世界があることにも。

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※「埼玉見沼田んぼ福祉農園」のサウンドマップを1年かけて制作していく予定です。
ちなみにこの農園には大学の放射線調査が入り、
安心して食べられる野菜が作られています。

こちらにも記事が掲載されてます(写真が多い)。

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2012年4月28日 (土)

祈り

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仕事で訪れた花畑の脇に、
小さな切り株があって、
その上で、バリ(タイ?)の結婚式が繰り広げられていた。

誰が置いていったのか。
もともとそこにあったのか。
なんだか幸せな光景だった。

誰もいない花畑で。
とりあえずは目の前の景色を信じて、
未来を、静かに祈ろう。

明日は畑仕事のあと、
子ども達とサウンドウォーク。

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2012年4月 1日 (日)

空豆と私

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空豆は、子どもの頃に一度しか食べたことがない。
その一度で酷い目にあって、とにかく一晩中苦しんで、
それ以来、体がまったく受け付けない。

その流れで、グリーンピースもだめになった。
グリーンピースにいたっては、
おやつで食べていたくらい好きだったのに、だ。

話は変わるが、音を語る上で重要な人物にピタゴラスがいる。
彼は鍛冶屋から聞こえてきた音から、’ピタゴラス音律’を発見したということになっている。
(ことになっている、というのは、中国に「三分損益」という同じ音律があるから)。
「ピタゴラスの定理」が有名なので数学の人っぽいけど、
とにかく、哲学や音楽にも多大な影響を与えた紀元前の偉人である。

興味深いのは、その彼が「ピタゴラス教団」を作って、
「決して、空豆を食べてはならない」という戒律を守らせていたという事実。
しかもピタゴラスは、空豆畑で殺されたのだった。
私にとってピタゴラスは、
「音律」や「ピタゴラスイッチ」の人である以上に、
何よりもまず「空豆」の人なのだ。

地中海地方の欧米人(主に男性)には、
「ソラマメ病」という遺伝体質があって、
空豆を食べると中毒症状を起す人がいるらしい。
ピタゴラスもそうだったという説がある。

もしかして私も、そうなんだろうか。
アジア人の女性だけど。

いまこうして、音のことを研究してたりするのも、
ピタゴラスとなんか関係あるのかな、と思う時、
前世・・という言葉が、ふと頭を過る。
何かで占った時は、「ロシアの女帝」って出たけど。

とにかく、理由はよくわからないけど、
結果的に私はピタゴラス教団の戒律を守って生きている。
決して空豆は食べない。

「ソラマメ」っていう名前は、
音の響きも、字面も可愛いし、
前向きな感じがして大好きなんだけど。


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2012年3月19日 (月)

弘前にて②

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弘前大学で開催された日本音楽教育学会の東北地区例会で、
サウンド・エデュケーションのWSをさせて頂きました。
今田匡彦研究室の一員として身が引き締まると同時に、3.11から1年、いま自分に出来ること、しなければならないことを模索してきた中で、
一筋の光が見えたような時間でした。

いやあ、それにしても。
私は昔からこの研究室にいたんじゃなかろうかと思うほど、
今田先生の懐は広く、同世代の文化を共有・継承できる同志としても心強いのです。
震災後に初めて研究室を訪れた時は、本当に救われる想いがしました。
ああ、ちゃんとここにあるじゃないか」と。
日本は狭いようで、広い。決して、モノトーンではないのです。
だからこそ、いま福島の色が放射能色に染まってしまったことは、
本当に心が痛みます。
あの地にも真摯に、「間違いないこと」に取り組んでいる人は、山ほどいるはずなのだから。

青森行きの日本列島は見事な晴れで、
上空からずっと、東京から東北の地を見ていました。
まだ雪が残る、墨絵のように美しい東北の山々。
それにくらべて、恐ろしいまでに込み入って息が詰まるような東京。
東京の街がここまで膨張しなかったら、
福島の原発だっていらなかったはずなんだ。
どうしてそんなことに、故郷である東京のあり様に、
今までの私は気づくことが出来なかったのだろう。

どこかの雑誌が「縮小する東京」みたいなネガティブな見出しをつけていたけど、
いま、本当に縮小しなくちゃいけないんだよ、東京は。
もっと身の丈にあった、ちょうどいい暮らしに切り替えていかないと、
この街はいつか、パンパンに膨らみきった風船のように割れてしまうと思う。

これだけの被害を出しても、どうしても変われない頭の固い大人たちがダメなら、
未来の大人たち、つまりは子ども達にそのことに気づいてもらうしか、
もう持続可能な社会を作る道は残されていないのだと、私は思ってます。

本当に、『ハチドリのひとしずく』なのは承知だけど、
私はそれを、芸術教育の分野に見出していきたいと思ってます。

弘前に来ると、わかるのは「人にちょうどいいサイズ」。
街も、人の数も、時間の流れも、何も無理がない。
大きすぎないし、多すぎないし、早過ぎない。
人も謙虚で、自然とも共存している。そして何より「静寂」がある。
静かなエネルギーをもらえる人と、場所。

ここにいる仲間たちと、本気で考えよう。
そして、自分なりに行動しよう。
せっかくの人生、後悔はしたくないので。

※WSの内容については例会報告後に発表します。
ご興味のある方は、個人的にメールでお問い合わせください。

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2012年2月20日 (月)

最近のメモから

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できれば忙しいって言いたくないし、 
時間が無いことを言い訳にしたくないし、
やれることはやっておきたいと思うけど、
やっぱり一日は24時間と限られていて、
いま自分に与えられた(めぐってきた)仕事は山積みなのは逃れられない事実で、
これも秋までの「てんびん座土星試練」かと、最近はあきらめムードですが。
こちらは自分のための覚え書き。
一部は論文で考察中なので、深くは書きません。。あしからずです。

1月中旬
Dialog in the Dark 暗闇エンターテイメント
お正月バージョンで、真っ暗闇の中で書初めをした。
普段、目を閉じてピアノを弾いたりもするので、
思いのほか上手にかけたと思うけど、それは暗闇ツアーの最後のイベントだったから。
最初はもう、あたふた、混乱。
自信の聴覚も思いのほか役立たず、いろいろな気づきのあった時間だった。

2月上旬
町田ショートフィルムフェスティバル バリアフリー上映会
Dialogで視覚障害者のアテンドぶりに感動を覚え、
目の見えない方たちが普段どんな暮らしをしているのか、
もっと話をしてみたいと思って出かけた。
視覚障害者でも楽しめる映画とは、音声ガイド付き映画ということで、
それは活弁士の’芸’によるところが大きいというのも興味深かった。
ラジオドラマとは違って’映像の描写’があることで奥行きが広がる。
でもラジオドラマを映画館で’上映’するという企画もありかも、と思ったりした。
今回アテンドをさせて頂いた全盲の男性との会話はとても面白かった。
目の見えない人たちは、言葉のレスポンスが早い。
おしゃべり好きな方も多い。
それが唯一他人とつながるコミュニケーション手段だと知っているから。

メディア4youth おしゃべりなカメラ展
昨夏ワークショップに参加させてもらった。
懐かしい子ども達の笑顔や元気そのままの、
ポップで明るい展覧会だった。
身近な大人たちのDVや薬物中毒が彼らの心を深く傷つけたことには違いないが、
みんなで一緒に食べるご飯のおいしさを知った彼らを見ていると、
生気のない顔でマックにいる塾通いの(あるいはゲームに夢中の)小学生の姿が思い浮かぶ。
子どもにとっての幸福って何だろう?
「独りご飯」で育った未来のエリートたちに、はたして幸福な社会が作れるだろうか。

復興ダンゴ「老人ホーム♯2」by野村誠
天才はあっけらかんとしている。
老いることにも、すぐそこにある死にも。
そう見えるだけなのかもしれないけど、
そのあっけらかんが作り出す音楽に救われる高齢者もまた、
少なからずいるのだと思う。
深刻と真面目は違う。
これ重要。

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2012年1月15日 (日)

Mother Songsコンサート ピアノで綴る日本の歌~大正時代を中心に~

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ちょうど一年前のコンサートから、思いもよらぬ日々が繰り返され、
こうしてまた変わらずに人前でピアノを弾かせて頂けた奇跡に、
感謝せずにはいられないひと時でした。
自分の音楽を楽しみに待っていて下さった皆さんへの責任もかみ締めながら。

余命いくばくも無い方に、「元気をもらえた」と思いがけない言葉を頂きました。
この激動の100年間を生き残った音楽の力は、やっぱり凄いです。
小さいけれども、大きな生命力をもった音楽。
次世代にもつなげていきたいものです。
そして今この時代に作られている歌が、
どれだけ100年後にも生き残っているのか。
そのことにもあらためて目を向けてみたいと思いました。


■演奏プログラム
1.冬景色(大正2 1913)作者不詳
2.雪(明治44 1911)文部省唱歌
3.ペチカ(大正12 1923)北原白秋詞/山田耕作曲
4.ゆりかごの歌(大正10 1921)北原白秋詞/草川信曲
5.早春賦(大正2 1913)吉丸一昌詞/中田章曲
6.朧月夜(大正3 1914)高野辰之詞/岡野貞一曲
7.さくら(日本古謡 江戸時代)
8.故郷(大正3 1914)高野辰之詞/岡野貞一曲

編曲・演奏 ササマユウコ

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2012年1月 9日 (月)

今年もよろしくお願いします。

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本年もすでに小走り状態で始まってしまいましたが(汗)、
皆様どんな新年を迎えられたでしょうか。
遅ればせながら、今年もよろしくお願いいたします。

元旦は揺れました。
自然の、宇宙のサイクルっていうのは、
わたしたちの想像をはるかに超えたスケールで動いているんだと。
あらためて気を引き締め、腹をくくったお正月です。

こうなってくるともう、
あとは体力と、時の運だけが大切なんじゃないかと。
でもこれって、実は生まれてからずっとそうなんですよね、考えてみれば。
今までこうして無事に来れたのも、ただ運が良かっただけ。
目に見えない大きな力に、感謝せずにはいられません。

いまこの国は先行きの見えない問題が山積みだし、
これからもずっと同じ場所で、同じ暮らしが続けられる保証もないし、
呑気な人と敏感な人、西と東、
変えたい人と変えたくない人・・・
とにかく色々なところできっぱり分かれてしまったような、
大変な時代ではありますが。

とりあえず日々自分の出来ることから。
やらねばならぬことから。
体と心の息を合わせていきたいと思います。
幸多き一年となりますように。

2011年1月8日
ササマユウコ
今日は娘の1/2成人式のお祝い。
(paper craft by Hana)

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2011年12月26日 (月)

皆さま、良いお年をお迎えください。

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まったく自覚がありませんが、
激動の2011年もあと一週間となりました。
実は冬至の朝に102歳の祖母が旅立ち、
クリスマスイブは告別式となりました。
そして今日は祖母の誕生日です。
突然の不幸でハガキが間に合いませんが、
新年のご挨拶はご遠慮させて頂きます。

3月のあの日以来、ただ毎日を無事に、
大切な人たちと共に過ごせますように、
祈るように過ごしてきた気がします。
人は結局、謙虚に祈ることしか出来ないと、
身をもって体験した一年でした。
そして天の災いよりも、
謙虚さを忘れた人の災いの方がはるかに恐ろしいということも。

忘れていたわけではありませんが、
余震や原発のこともあり’避難’の文字がどこか頭を離れず、
その後の引越しのお知らせも結局出しそびれてしまいました。
もしこの先、私への郵便が返送されてしまった場合や、
お急ぎの場合は、新しい事務所か自宅の住所をお知らせしますので、
こちらのコメント覧かメールにてお知らせください。
落ち着いたら、一応ハガキを出す予定でおります。
転送期限が切れる、桜の咲く前に・・・。

振り返ってみれば個人的には、実はそれほど悪い年ではありませんでした。
むしろ忘れられないような出来事ばかりの、人生でも節目の一年だったと思います。
素敵な出会いも沢山あったし、うれしい再会も多かったし、
何より本当にやりたかったことが、
少しづつやれている気がします。
あとは何があっても動じずに、
日々自分の役割を果たしていくことが大切。
やるべきことがあることに感謝したいと思います。

来年は1月早々に、恒例のホスピスコンサートをさせて頂きます。
まさに人前での演奏は1年ぶり、早いもので4度目のコンサートです。
コンサートをしなかった1年にも関わらず、
実は現在、別の角度から音楽にどっぷりの生活をしています。
この研究者としての生活も、もうしばらく続きそうです。

はてさて2012年はどんな年になるのでしょう。
100年生きた祖母のように、地球のリズムや、
天体の音楽をきちんと感じ取れる人間になれるよう、
平和と静寂(peace&quiet)を祈りつつ、淡々と生きたいと思います。

日々の暮らしはツイッターでつぶやいています。
時々のぞいてみてくださいね。
@lifeasmusic
2011年12月26日
ササマユウコ


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2011年12月 3日 (土)

ほうほう堂@緑のアルテリオ

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おなじみ身長155cmのダンスデュオ「ほうほう堂」。
最近は劇場を飛び出して、街や駅やエレベーターの中や人の家なんかで踊っていることは、You Tubeでも薄々知ってたけれど、
「近くで踊ります」という知らせを受けて、娘と急遽出かけた。

殺風景な東京郊外新興住宅地の、
ひと昔前だったらとてもコンテンポラリーダンスとは結びつきそうもない場所に、
そのガラス張りの「アルテリオ小劇場」はいつの間にかあって、
こういう場所だからこその非日常に、ちょっと心がワクワクした。

劇場内に入るとすでに美術・浅井裕介氏の、
シュッ、シュっと、小気味よくマスキングテープを引き出してはちぎる音と共に、
彼の手から生まれるジャングルや不思議な生きものたちが客席内にも増殖し続けていた。

おしゃれで可愛くて、どこかユーモラスな「ほうほう堂」。
そのポップな印象に、普段はついつい見逃されがちだけれど、
実は作品(存在)はとてもラジカルで、奔放で、時に攻撃的ですらあって、
彼女たちはメッセージ性にあふれた’闘う芸術家’だと思っている。

増殖する緑の(実際は白なんだけど)ジャングルの中で、
疾走するたくさんの生きものたちに変身して、
舞台と客席のバリアを取り払い、
舞台と舞台裏のバリアも取り払い、
ついでにハーメルンの笛吹きみたいに観客を誘いながら、
いつの間にか劇場からも飛び出して、
とにかく伝えたいことを全部かたちにして、
今なにが大切なのか、自由とは何かを教えてくれる。
清清しさや微笑みと共に、「そうだよねえ」と思わず唸ってしまうような。

だっていま、私たちがいちばん望んでいるのは、
まさに彼女たちみたいに、無邪気な子供や生きものみたいに、
緑の中で走りまわったり、木に登ったり、雨に打たれたりすることなのだから。
その機会を突然奪われてしまったのが、この2011年なのだから。

それにしても、この10年間のテクノロジーの進化は凄い。
照明も音響も映像も、パソコン1台で次々とイマジネーションをかたちにしていく、
その驚くべき軽やかさ。
アナログとデジタルが幸福な出会いを果たした、
まさに次世代型の総合芸術だった。
そして今、アートに何より求められているのが、失われた自然の模倣(ミメーシス)。

川崎市アートセンター 小劇場アルテリオ、今後のラインナップにも注目したい。

振付・出演:ほうほう堂(新鋪美佳+福留麻里)
美術:淺井裕介
映像:須藤崇規

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2011年11月23日 (水)

弘前にて

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研究生をしている弘前大の今田匡彦研究室に。
マリーシェーファーの資料や、サウンドエデュケーション(音のワークショップ)の考察。

弘前は初めてだったけど、ちっともそんな感じがしなかったのは、
函館の記憶ともどこか重なるものがあったからかもしれない。
基本的に、自分は北の人間だと思う。

研究テーマについては専門的になるので、ここでは省きますが、
そんなこんなで今年、自然なかたちで東北とつながった。
来年もここから始まるのだ。いろいろ。

まさに「世界の調律」に出会った10年前から、
まるで約束されていたような不思議な縁を感じた二日間だった。
研究の資料は山積みだけど、こうなったら、やるしかないでしょう。
うん、やる。
それは後に続く世代のためなんだと、
今田先生の授業を見ていて凄くシンパシーを感じた。
同じエリアの文化を吸収した同世代の存在は大きい。
本当に、この先生でよかった。

時代や経済のせいにして絶やすには惜しい文化の灯がある。
バブル期に受けた文化の恩恵を、
時代に沿うかたちに変えながら、やっぱり今の若い人たちにも継承しないといけない。
芸術は、間違いなく人生を豊かにしてくれるから。

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そして帰ってきてから気づいたのだけど、
私は数年前にすでに弘前に出会っていたのだった。
神楽坂の近くにある青森物産館で。
どこかアイヌ文様にも似た弘前こぎん研究所の文様が妙に好きで、ストラップを擦り切れるまで使ってた。
まるでお守りみたいにね。
また買って帰ってきた。

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お城を見たりする時間は無かったけど、
街のモールに子供たちの小さな足型があって、子供が大切にされてる優しい街だと感じた。
木製の看板たちは、まるでヨーロッパのよう。
戦火を逃れた旧い街なので、懐かしい同潤会アパート風の建物もたくさん残っている。
城下町だけど、教会と洋館の多い街。
ついでに珈琲の街。

縁の深い街となりそうです。

日々のつぶやきはツイッターで
@lifeasmusic

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