2012年1月15日 (日)

Mother Songsコンサート ピアノで綴る日本の歌~大正時代を中心に~

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ちょうど一年前のコンサートから、思いもよらぬ日々が繰り返され、
こうしてまた変わらずに人前でピアノを弾かせて頂けた奇跡に、
感謝せずにはいられないひと時でした。
自分の音楽を楽しみに待っていて下さった皆さんへの責任もかみ締めながら。

余命いくばくも無い方に、「元気をもらえた」と思いがけない言葉を頂きました。
この激動の100年間を生き残った音楽の力は、やっぱり凄いです。
小さいけれども、大きな生命力をもった音楽。
次世代にもつなげていきたいものです。
そして今この時代に作られている歌が、
どれだけ100年後にも生き残っているのか。
そのことにもあらためて目を向けてみたいと思いました。


■演奏プログラム
1.冬景色(大正2 1913)作者不詳
2.雪(明治44 1911)文部省唱歌
3.ペチカ(大正12 1923)北原白秋詞/山田耕作曲
4.ゆりかごの歌(大正10 1921)北原白秋詞/草川信曲
5.早春賦(大正2 1913)吉丸一昌詞/中田章曲
6.朧月夜(大正3 1914)高野辰之詞/岡野貞一曲
7.さくら(日本古謡 江戸時代)
8.故郷(大正3 1914)高野辰之詞/岡野貞一曲

編曲・演奏 ササマユウコ

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2012年1月 9日 (月)

今年もよろしくお願いします。

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本年もすでに小走り状態で始まってしまいましたが(汗)、
皆様どんな新年を迎えられたでしょうか。
遅ればせながら、今年もよろしくお願いいたします。

元旦は揺れました。
自然の、宇宙のサイクルっていうのは、
わたしたちの想像をはるかに超えたスケールで動いているんだと。
あらためて気を引き締め、腹をくくったお正月です。

こうなってくるともう、
あとは体力と、時の運だけが大切なんじゃないかと。
でもこれって、実は生まれてからずっとそうなんですよね、考えてみれば。
今までこうして無事に来れたのも、ただ運が良かっただけ。
目に見えない大きな力に、感謝せずにはいられません。

いまこの国は先行きの見えない問題が山積みだし、
これからもずっと同じ場所で、同じ暮らしが続けられる保証もないし、
呑気な人と敏感な人、西と東、
変えたい人と変えたくない人・・・
とにかく色々なところできっぱり分かれてしまったような、
大変な時代ではありますが。

とりあえず日々自分の出来ることから。
やらねばならぬことから。
体と心の息を合わせていきたいと思います。
幸多き一年となりますように。

2011年1月8日
ササマユウコ
今日は娘の1/2成人式のお祝い。
(paper craft by Hana)

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2011年12月26日 (月)

皆さま、良いお年をお迎えください。

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まったく自覚がありませんが、
激動の2011年もあと一週間となりました。
実は冬至の朝に102歳の祖母が旅立ち、
クリスマスイブは告別式となりました。
そして今日は祖母の誕生日です。
突然の不幸でハガキが間に合いませんが、
新年のご挨拶はご遠慮させて頂きます。

3月のあの日以来、ただ毎日を無事に、
大切な人たちと共に過ごせますように、
祈るように過ごしてきた気がします。
人は結局、謙虚に祈ることしか出来ないと、
身をもって体験した一年でした。
そして天の災いよりも、
謙虚さを忘れた人の災いの方がはるかに恐ろしいということも。

忘れていたわけではありませんが、
余震や原発のこともあり’避難’の文字がどこか頭を離れず、
その後の引越しのお知らせも結局出しそびれてしまいました。
もしこの先、私への郵便が返送されてしまった場合や、
お急ぎの場合は、新しい事務所か自宅の住所をお知らせしますので、
こちらのコメント覧かメールにてお知らせください。
落ち着いたら、一応ハガキを出す予定でおります。
転送期限が切れる、桜の咲く前に・・・。

振り返ってみれば個人的には、実はそれほど悪い年ではありませんでした。
むしろ忘れられないような出来事ばかりの、人生でも節目の一年だったと思います。
素敵な出会いも沢山あったし、うれしい再会も多かったし、
何より本当にやりたかったことが、
少しづつやれている気がします。
あとは何があっても動じずに、
日々自分の役割を果たしていくことが大切。
やるべきことがあることに感謝したいと思います。

来年は1月早々に、恒例のホスピスコンサートをさせて頂きます。
まさに人前での演奏は1年ぶり、早いもので4度目のコンサートです。
コンサートをしなかった1年にも関わらず、
実は現在、別の角度から音楽にどっぷりの生活をしています。
この研究者としての生活も、もうしばらく続きそうです。

はてさて2012年はどんな年になるのでしょう。
100年生きた祖母のように、地球のリズムや、
天体の音楽をきちんと感じ取れる人間になれるよう、
平和と静寂(peace&quiet)を祈りつつ、淡々と生きたいと思います。

日々の暮らしはツイッターでつぶやいています。
時々のぞいてみてくださいね。
@lifeasmusic
2011年12月26日
ササマユウコ


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2011年12月 3日 (土)

ほうほう堂@緑のアルテリオ

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おなじみ身長155cmのダンスデュオ「ほうほう堂」。
最近は劇場を飛び出して、街や駅やエレベーターの中や人の家なんかで踊っていることは、You Tubeでも薄々知ってたけれど、
「近くで踊ります」という知らせを受けて、娘と急遽出かけた。

殺風景な東京郊外新興住宅地の、
ひと昔前だったらとてもコンテンポラリーダンスとは結びつきそうもない場所に、
そのガラス張りの「アルテリオ小劇場」はいつの間にかあって、
こういう場所だからこその非日常に、ちょっと心がワクワクした。

劇場内に入るとすでに美術・浅井裕介氏の、
シュッ、シュっと、小気味よくマスキングテープを引き出してはちぎる音と共に、
彼の手から生まれるジャングルや不思議な生きものたちが客席内にも増殖し続けていた。

おしゃれで可愛くて、どこかユーモラスな「ほうほう堂」。
そのポップな印象に、普段はついつい見逃されがちだけれど、
実は作品(存在)はとてもラジカルで、奔放で、時に攻撃的ですらあって、
彼女たちはメッセージ性にあふれた’闘う芸術家’だと思っている。

増殖する緑の(実際は白なんだけど)ジャングルの中で、
疾走するたくさんの生きものたちに変身して、
舞台と客席のバリアを取り払い、
舞台と舞台裏のバリアも取り払い、
ついでにハーメルンの笛吹きみたいに観客を誘いながら、
いつの間にか劇場からも飛び出して、
とにかく伝えたいことを全部かたちにして、
今なにが大切なのか、自由とは何かを教えてくれる。
清清しさや微笑みと共に、「そうだよねえ」と思わず唸ってしまうような。

だっていま、私たちがいちばん望んでいるのは、
まさに彼女たちみたいに、無邪気な子供や生きものみたいに、
緑の中で走りまわったり、木に登ったり、雨に打たれたりすることなのだから。
その機会を突然奪われてしまったのが、この2011年なのだから。

それにしても、この10年間のテクノロジーの進化は凄い。
照明も音響も映像も、パソコン1台で次々とイマジネーションをかたちにしていく、
その驚くべき軽やかさ。
アナログとデジタルが幸福な出会いを果たした、
まさに次世代型の総合芸術だった。
そして今、アートに何より求められているのが、失われた自然の模倣(ミメーシス)。

川崎市アートセンター 小劇場アルテリオ、今後のラインナップにも注目したい。

振付・出演:ほうほう堂(新鋪美佳+福留麻里)
美術:淺井裕介
映像:須藤崇規

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2011年11月23日 (水)

弘前にて

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研究生をしている弘前大の今田匡彦研究室に。
マリーシェーファーの資料や、サウンドエデュケーション(音のワークショップ)の考察。

弘前は初めてだったけど、ちっともそんな感じがしなかったのは、
函館の記憶ともどこか重なるものがあったからかもしれない。
基本的に、自分は北の人間だと思う。

研究テーマについては専門的になるので、ここでは省きますが、
そんなこんなで今年、自然なかたちで東北とつながった。
来年もここから始まるのだ。いろいろ。

まさに「世界の調律」に出会った10年前から、
まるで約束されていたような不思議な縁を感じた二日間だった。
研究の資料は山積みだけど、こうなったら、やるしかないでしょう。
うん、やる。
それは後に続く世代のためなんだと、
今田先生の授業を見ていて凄くシンパシーを感じた。
同じエリアの文化を吸収した同世代の存在は大きい。
本当に、この先生でよかった。

時代や経済のせいにして絶やすには惜しい文化の灯がある。
バブル期に受けた文化の恩恵を、
時代に沿うかたちに変えながら、やっぱり今の若い人たちにも継承しないといけない。
芸術は、間違いなく人生を豊かにしてくれるから。

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そして帰ってきてから気づいたのだけど、
私は数年前にすでに弘前に出会っていたのだった。
神楽坂の近くにある青森物産館で。
どこかアイヌ文様にも似た弘前こぎん研究所の文様が妙に好きで、ストラップを擦り切れるまで使ってた。
まるでお守りみたいにね。
また買って帰ってきた。

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お城を見たりする時間は無かったけど、
街のモールに子供たちの小さな足型があって、子供が大切にされてる優しい街だと感じた。
木製の看板たちは、まるでヨーロッパのよう。
戦火を逃れた旧い街なので、懐かしい同潤会アパート風の建物もたくさん残っている。
城下町だけど、教会と洋館の多い街。
ついでに珈琲の街。

縁の深い街となりそうです。

日々のつぶやきはツイッターで
@lifeasmusic

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2011年10月20日 (木)

みえる、みえない 映画「ミルコのひかり」

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先日は、「きこえる、きこえない」をテーマに舞台「R&J」について。
今日は、目の見えない少年が、
耳を開き、人生の扉をも開いていく映画「ミルコのひかり」を取り上げます。

この映画の主人公はイタリアに実在する盲目のサウンドデザイナー。
彼の少年期をドラマにしたものです。
1970年に10歳だから、自分より少し上の世代かな。
当時うちはオープンリールではなくて、すでにカセットデッキでしたが、
目が見える、見えないに関わらず、
「テープ」を使って録音する楽しさを発見していく過程は、
時代的に懐かしいというか、共感するものがありました。

そして、ここですごく大切なことは、
(ちょっと専門用語になりますが)、
アナログ機材は音の切り貼り作業(パンチイン/アウト)等が、
すべて「手で出来る」ということだと思いました。
ミルコが録音した「音」は、「テープ」という’手に触れられる状態’になっている。
これが、いまのデジタル・レコーダーになると、音がデータ化されるので手で触れられない。
編集画面で、音を視覚的に(あるいは数値として)作業していくことがほとんどです。

例えば、ボタンひとつで(オートで)録音できるICレコーダーは、
目のみえない人たちにも便利のようにも思えますが、
そのあとの編集作業は、かえって難しくなってしまった気がします。
(作業時に音声ガイドがあれば別ですが)。
テープ残量(録音可能な時間)ひとつとっても、手で確認できないのですから。

何より音がカラダを通って、自分が抱えるレコーダーに入っていくような、
音とカラダと機材の一体感には、アナログ的な作業が不可欠です。

ボリュームやフェーダーを動かす感覚だったり、
テープを動かしたり止めたりする時の「ガチャリ」というスイッチの手ごたえや音だったり。
自分が機材を動かしているという実感と、「手の感覚」から音を感じとる面白さと。
ミルコが夢中でテープを切り貼りしている編集作業のシーンは、
まるで楽器を演奏しているようでした。
現在の、目が見えるエンジニアたちが嘆く、
デジタル化によって、音に関わる作業が’視覚に偏りすぎている’という事実。
音がデータ化されてから失われたものが、あのシーンにはありました。

もっと耳を、手を、全身を使って音を探り出していくことが、
本来の音表現の喜び。
もしも、盲目の少年がデジタルレコーダーを使ったとしたら、
はたして音響デザイナーを目指しただろうかというのは、
大きなギモンでもあります。

映画の物語に話を戻せば、もうひとつの印象的なエピソードがありました。
この盲目の少年たちの中に、
先日の「R&J」手話通訳のような存在として、目の見える一人の少女が参加しています。
本人が自覚するとしないとに関わらず、みえるorみえない、少年たちの内と外をつなぐ役割を担う彼女。
彼女の存在が、盲目の少年達の音表現を飛躍的に広げていきます。
しかも彼女にとって、みえるorみえないということは、何の障害にもならない。
こどもゆえの、先入観のない、自由な心があるのです。

先日読んだサウンド・エデュケーションの論文では、
この映画には「「見えること」と「見えない」こと、「聴こえること」と「聴こえないこと」の拮抗が
描き出されている」と指摘されていました。
(2011 石出和也 「聴くことの場」を語るための言葉 (弘前大学)
見えないからこそ聴こえている音があり、
見えてしまうからこそ聴こえない音もある。
いま「見えている」自分の五感が本当に開かれているかは、
常に自問自答する必要があるのだと気づかされます。

そして、ひとりの開かれた耳が、他者の耳を開いていく。
耳だけでなく、心も、未来の扉も開けていく。
(このことは、ラスト近くで象徴的に映像化されています)。
それは、「みえる、みえない」という障害を乗り越えた少年の物語というよりも、
ひとりの気づきが、周囲の共感を呼び、新しい可能性を開いていく、
五感が開かれた人生の醍醐味とは何かを教えてくれる物語でもあったのでした。

「ミルコのひかり」

監督:クリスティアーノ・ボルトーネ
   2005年 イタリア映画

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2011年10月16日 (日)

音の記憶① 函館カトリック元町教会の鐘の音

サウンドスケープを掘り下げていくにあたって、
自分の音の記憶を折に触れてメモしていくことにしました。
今回は、函館カトリック元町教会。
私が通った(途中で東京に戻った)幼稚園の鐘の音です。
今でも時々夢に出てくる、正門までの道の風景。
この映像を見つけたとき、まさに自分の夢が映像化されたような不思議な気持ちになりました。
ちなみに今は美しい石畳ですが、当時は舗装されていない道だった。
この鐘の音をきいた瞬間、涙が流れた。
なぜだろう。
その「なぜ」に迫っていけたらと思うのでした。

こちらはお向かいのハリストス正教会。
日本の音風景・100選にも選ばれている、なんとも音楽的な鐘の音。
どこかガムランのようにも聴こえる。
不思議とこの印象的な音があまり記憶にないのは、日曜日の午前中に鳴らされる鐘だから。
教会の鐘の音が届かない場所に家があったんですね、おそらく。


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2011年10月14日 (金)

きこえる、きこえない 「R&J」 (ロミオとジュリエット)

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自身も聴覚障害を持つイギリスの演出家ジェニー・シーレイの舞台「R&J(ロミオとジュリエット)」。
この舞台のコーディネーターは、6月に津田塾のメディア4Youthでお会いした吉野さつきさん。
出演者&日本手話コーディネーターには、旧い劇場仲間の米内山陽子さんがいた。
現在取り組んでいるサウンドエデュケーションの研究テーマは「きく」という行為。
その関連で読んだ論文で、耳の聴こえない人たちに音楽を提供している音楽家・佐藤慶子さんの存在を知った(彼女は米内山さんの父・米内山明宏監督の映画音楽も担当されている)。
そして仕事でも、聴覚障害者を知る上で「サイレント・トーク」という体験をしたばかり。
と、いろいろな「いま観るべき」を感じて足を運んだ舞台。

耳の聴こえないジュリエットと、聴こえるロミオ。
そもそも障害とは何だろう?
障害のある/ないは、何が基準となるのだろう?
舞台上では彼らのシルエットのように、もう一組のカップルが、
ジュリエットの手話を声に換え、ロミオの言葉を手話に換えていく。
手話はまるでダンスのように舞台を彩り、
背後のスクリーンでは風景のように台本も映し出されていく(役者の書き込みつきで)。
’きっかけ’には照明や役者の動き、そして重低音も使われる。
そう。聴覚は視覚と触覚に転化され、役者達が息を合わせていくことに不都合はない。
耳が聴こえない、手首から先が無い、背が低い・・それらはカラダの障害であっても、
舞台を進行する上での障害にはならない。
話せる人が声を出し、通訳できる人が言葉を伝え、動ける人が動いていく。
自分の出来ることをやって、お互いに支え合いながら、補いながら、つながっていく。
それはまさにユニバーサル。
この舞台から理想的な社会の縮図が見えてくる。

では、この「ロミオとジュリエット」で語られる最大の’障害’は何だろう。
それは言うまでも無く、
お馴染みのモンタギュー家とキャピュレット家間に存在する’憎しみ’なのだ。
間にある、というよりも両家の人の「心の中に存在する」障害と言う方が正しいだろう。
そのことに気づくとき、健常者と言われている立場の自分がはっとする。

余談として、開演前の客席で、
円形の舞台をはさんで手話でやりとりしている人たちの姿が興味深かった。
「音の無い会話」は距離という障害を越え、
私たちにとっての’静かにすべき場’の概念を自由に飛び越えていく。
手話を奏でる身体から発せられる’気’は、非常に音楽的でもあった。

そして終演後にロビーで
米内山さん(聴こえる)と数人の聴覚障害の人たちが手話で会話をする中に、
ひとり参加するという場面があった。
私は手話がわからない。
米内山さんの会話(声)と、
聴こえない彼女達の身振りと、くちびるを必死で読み取りながら、
半分の音のない会話の雰囲気を感じ取っていた。
それは初対面のミュージシャンと即興セッションする時の感覚と非常に似ていたが、
正直ちょっと心細かったのも事実。

マイノリティはどちらなのか。
障害というのは意識の問題、そして数の問題ともいえるのだ。

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「R&J」
演出:ジェニー・シーレイ
原作:ウィリアム・シェイクスピア『ロミオとジュリエット』
翻訳:松岡和子
企画制作:NPO法人エイブル・アート・ジャパン
運営:第11回全国障害者芸術・文化祭埼玉大会実行委員会

彩の国さいたま芸術劇場小ホール

R&Jのブログ→ http://r-and-j.jugem.jp/

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2011年9月25日 (日)

朱花(はねづ)の月

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中学高校と修学旅行は京都・奈良だった。
東京郊外の新興住宅地に子供が爆発的に増えている頃で(確か11クラス)、
旅行の予算も無かったのだろう。
その後、京都は何度も足を運んでいるのに、
奈良はその時の2回だけ。
けれども強烈に印象に残っているのは法隆寺の百済観音と、自転車で一周した明日香村の澄んだ空気。
そう、どちらも奈良。
そしていつでも心のどこかで、また奈良に行きたいと思う自分がいる。

私は河瀬直美監督が撮る奈良が好きだ。
奈良の森の深い緑や、古来からつづく深遠な空気を、
皮膚感覚で映像に捕らえることの出来る世界で唯一の監督。
彼女の撮る緑色はとにかく美しい。

そして今回は朱色。
紅花やくちなしの赤は、まさに血の色。
赤と緑が織り成す複雑な男女の物語には、暗示的に血の匂いがつきまとい、
そしてある意味’約束された’結末を迎える。

一見ほっこり雑誌にも登場しそうな爽やかな光と、それに対比される闇。
一筋縄ではいかない心の機微が、時空を越えて細部に織り交ぜられている。
万葉集の歌に思いを馳せながら、
やっぱり男と女は永遠にわかりあえないと思ってみたり、みなかったり。

そして何より驚いたのは、
主人公が自転車で駆け抜ける明日香村が、
十代の頃に自分が見た風景と何ひとつ変わっていなかったこと。
いま、自分をとりまく世界はこんなにも大きく変わってしまったのに、
あの場所は古来から変わらずに、今日も存在する。
その尊さと悠久の時の流れに、どこかほっとする自分がいた。

http://www.hanezu.com/

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2011年9月19日 (月)

さようなら原発 明治公園6万人デモに参加しました

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作品に色が付いてしまうかな・・と、デモというものとは距離を置いて生きてきましたが、
こんな事故が起きて、子供たちがセシウム牛乳を飲まされているのに、
もう親として黙っていられない、と。
6.11に続き、二度目のデモ。今日は夫婦で参加しました。

明治公園には6万人が集まり、思い思いのプラカードや仮装をして、
静かな怒りとともに、とても平和的な空気が流れていたと思います。
放射能という同じ恐怖にさらされながら、生き抜こうとしている同志たち。
思想や主張を越えて、生きものとして響きあう命によってつながっていた。

写真は、目の前にいた福島から参加した人たちの旗。
彼らの言葉は、涙なくしては聴けませんでした。
このビデオの37分頃、ハイロアクション武藤類子さんの言葉を是非聴いてください。
http://www.youtube.com/watch?v=k5Q5cRWpQaU&feature=youtu.be

これが本当に今の私たちの国で起こっていることならば、
東日本だけじゃなくて、すべての人たちに、もっともっと知ってもらいたいと思いました。
戦争は知らないけど、戦場より酷い。

この6万人の中で、ピーター・バラカンさんにお会いしました。
おひとりでデモに参加されていました。
ラジオ出演から2年ぶり?かな?
あの時は「私は音楽バカです」なんて無邪気に話していましたが、
こんな再会が待っていようとは夢にも思わなかったし、色々とお話も出来て、
心強く思いました(最近のお弁当問題で孤独だったので)。
まさに「生きものの音」がつないでくれた縁です。

テレビの報道では色々と歪曲されているようですが、
6万人が集まり、ノーベル賞作家の大江健三郎さんを先頭に、
落合恵子さん、澤地久枝さん、山本太郎さん等のメッセージがありました。

そして街行く人よりも、明らかにデモ行進してる人の方が多かった。
一般人は正気です。
それでもまだ、国民の8割はいらないっていってるのに、
お金のために原発を再稼動させようとしている一部の人たちは、間違ってるよ。
いや、正気を失ってる。

空撮で見るとこんなに人がいっぱいなのに、NHK7時のニュースはスルー
日本のテレビはやっぱり、本当のことを言わないメディア。
ドイツの方がよっぽどまともに報道してくれてます。
http://www.youtube.com/watch?v=CBGWW2XeGfw&NR=1

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«9.19 明治公園  さよなら原発 1000万人アクション